それでもセフレが欲しい人のためのセフレガイド

セックスフレンドによって露呈される関係の曖昧さ

セックスのみを媒介にして男女の関係を成立させるセックスフレンド(略してセフレ)というあり方は、少しばかり特殊な人間関係であるかもしれません。

厳密には、「セックス」だけで形成される人間関係が「セックスフレンド」の一応の定義となっております。その「一応の定義」の厳密さに忠実でいますと、セフレという関係については、「友達」「恋人」といった関係と、はっきりと峻別させる必要があるでしょう。

しかし「セックス」「フレンド」という二つの言葉が組み合わされて使用されていることもあって、セックスフレンドというのは、厳密な定義を拒む曖昧さを携えている関係性でもあるように思われます。

セフレという関係性を選択するということは、「セックスだけ」という極端に限定した関わりのなかで、男女の人間関係を曖昧な領域で宙吊りにすることを積極的に選ぶ、ということであるのかもしれません。

セックスフレンドの曖昧さ、というのは、「友達」「恋人」といった、一見すると固定されているような関係性、明確とされている関係性に揺さぶりをかけ、セックスフレンドと同様に曖昧なものに変貌せしめてしまうものであると私には感じられます。

セックスフレンドは、肉体関係のみで成立する、という、「友達」「恋人」以上の、爽快なまでの明確さを持ってはいるのですが、この、一見すると明確で単純な定義があるからこそ、セックスフレンドというのは人間関係の持つ曖昧さをきわだたせ、浮き彫りにするのかもしれません。

セフレは、異性の友達との友情や、恋人同士の愛情などとは決定的に違う部分を持ちながらも、同時に、友達や恋人といった領域のそれぞれの特徴と重なりあう部分をも持つことがあるのであって、その中間的かつ媒介的な曖昧なありかたには、男女の人間関係にまつわる興味深い示唆が含まれているのではないかと思われます。

友達とセフレ、友情とセックス

まずは、異性の友達という関係と、セフレ関係の違いや重なりについて考えてみましょう。

まずは、異性の友達という関係と、セフレ関係の違いや重なりについて考えてみましょう。

セフレは、「セックス」という強烈な生々しさが介在することによって、その異性との関係を「友達」と言い切ることを極めて難しくします。

そもそも「友達」という関係の異性とは、基本的には、一応「セックスをしない」ということになっているのですし、セックスがしたい、セックスをしようという考えを異性の「友達」を前にして抱く時点で、それは、もはや「友達」という関係性を超えた欲望を相手に対して抱いているということになります。

「友達」という言葉を、もし言葉通りに受け取り、愚直に考えるのであれば、おそらくは、そういうことになるでしょう。

ところが、セフレ関係を築きながら同時に友人関係をも成立させて維持している、というような、セフレと友情を両立させて器用にやっているようなアクロバティックな男女がそれなりにいるのも事実です。

となると、異性の「友達」というのは、「セックスをしたい」と思ったくらいでは壊れないような懐の広い柔軟な関係性なのか、というと、どうも、そう言い切ることもできません。

「友達」の関係に「セックス」を介在させて「セックスフレンド」になってしまったことによって、それまで継続させていた「友達」という関係性がまったく維持できなくなる、「友達」という考え方が通用しなくなる、ということも、往々にしてよくあることだからです。

むしろ、友情とセックスを両立するタイプのセックスフレンドより、これらの、「友達」という関係を破壊する方向に進むセックスフレンドのほうが多いと言えるでしょう。

「友達」という関係性は、セックスを介在させることによって継続させることもできるし、もはや取り返しがつかないほどに粉々に破壊される可能性もあるのです。

セックスフレンドにする、という決断は、固定された「友達」という考えに亀裂を生じせしめ、その亀裂に、男女の人間関係が根本的に「性」を抱えこんでいることを露呈させ、男女が不可避的に抱え込んでいる本来の曖昧さをねじこんでいくような性質を持っているのではないか、と私は考えています。

「男女の友情は成立するか否か」というような紋切り型の設問がたえず問われつづけているのは、セックスフレンドという関係性を通して露呈されてしまうような曖昧な領域が、男女の「友達」という関係と、友情のなかにつねに含まれているからなのでしょう。

「セックスフレンド」を作るにあたって、異性の友達をセフレにするのは考えものである。

まったく知らない異性を見つけてセフレにすべきである」というような意見は友情の破壊を恐れる側から出るものであり、「異性の友だちをセフレにするという手も大いにアリである」という意見は、男女の関係性に潜む根本的な曖昧さを積極的に引き受けていこうとする側から出るものであると考えてよいのではないかと思います。

恋人とセフレ、愛情とセックス

つづけて、恋人という関係とセフレ関係について見ていきましょう。

さて、つづけて、恋人という関係とセフレ関係について見ていきましょう。

セックスという肉体関係のみで異性と関わりあい、そこに精神的な繋がりや恋愛感情などを一切介在させない、というのが「セックスフレンド」の一応の定義だとするならば、セックスフレンドのパートナーのことは、やはり「恋人」と呼ぶわけにはいかないでしょう。

実際、彼氏や彼女、伴侶などがいるにもかかわらず、そういった「恋人」とは関係なく、性的領域の欲望を満たすために、別口でセフレという関係を作るという男女は数多く存在します。

セフレは、恋人同士の間に見られるような精神的な繋がりや愛情を持たずとも成立するような関係性ですから、このようなケースが多く発生するのは当然のことであるといえるでしょう。

セフレという言葉や、その関係性の特徴を前にすると、「恋愛感情なしにセックスができるものなのか」、あるいは、「セックスをしたにもかかわらず恋愛感情を抱かずにいられるものなのか」というような疑問を抱く人も多いかもしれません。

しかし、肉体的な繋がりのみで関係を築くセックスフレンドというありかたが存在し、すでに成立してしまっている以上、それらの疑問に対しては、「可能である」と答えることしかできません。

それらが「可能である」ということを、ある程度納得するためには、「風俗」を参考にするとわかりやすいかもしれません。

男性であれば風俗の客、女性であれば風俗嬢ですが、基本的に、「風俗」という場において男女の間でかわされる性行為というものは、恋愛感情なしで行われるのが基本です。

男性が金銭を支払い、女性が肉体を提供し、男性は性欲を処理し、女性は収入を得る。この割り切った性行為のなかに、男女の「恋愛感情」を見出すことはできませんが、性行為はしっかりと成立しています。「恋愛感情」を発生させずにセックスをする、というセフレとの関係は、この風俗客/風俗嬢同士の関係にかなりよく似ています。

もちろん、セックスフレンドという関係においても男性が女性にお金を払うことは多々ありますが、ここから金銭の媒介を取り去って、男性と女性がそれぞれに性欲を処理しあうだけの割り切った関係を持つ、というのがセフレという関係をもっとも徹底させた状態ということになるでしょう。

セックスから恋愛感情が芽生えるとき

セックスを通したことによって異性に対して強烈な恋愛感情を抱いてしまう

ところが、厄介なことに、セックスを通したことによって異性に対して強烈な恋愛感情を抱いてしまう、ということが異性の関係においては多く発生するのも事実です。

セフレという関係を、純粋に割り切った明確な関係にするのは「セックス」という行為に他ならないのですが、「セックス」という行為は、同時に、「恋愛感情」という、割り切ったセフレ関係においては不要であるとされる曖昧な領域の感情を持ち込む起爆剤でもあるのです。

風俗の話に戻りますが、風俗嬢に対して恋愛感情を抱いてしまい、恋愛感情ありきで性行為の興奮を高めていくタイプの男性、性行為後に風俗嬢にのぼせあがってしまい恋をしてしまい、性行為以上に恋愛関係を強く求めてしまうような風俗客が一定数います。

このような「恋する風俗客」が登場すると、仕事として性行為をしており、肉体だけを割り切って提供しているつもりでいた風俗嬢は、この場違いな精神的繋がりの要求に非常に困らされることになります。

セックスフレンドに対してセックスを通して恋愛感情を抱く、セックスだけでなく恋愛の関係を要求し、「恋人」になってほしいと願う、という場合も、おおよそ、このような困惑を引き起こすものではないかと私は考えています。

ここで、もし困惑が起こるのではなくて、承諾だけがあるのだとしたら、そこにはもはやセフレは存在せず、新しい「恋人」が誕生することになります。

そうなると、そもそも二人がセックスフレンドという関係性のもと行っていたセックスとは何だったのか、それは、はじめから、あるいは、ある地点から、すでに「恋人」同士のセックスだったのではないか、というような疑問がわいてくることにもなるでしょう。

セフレという関係性とセックスという磁場

セックスをしたにもかかわらず恋愛感情を抱かずにいられるものなのか

「セックスをしたにもかかわらず恋愛感情を抱かずにいられるものなのか」というような疑問は、このような状況の渦中において、答えが二つに別れ、切実な相貌を見せることになるでしょう。

そして、セフレというものが曖昧な領域を漂いながら「恋人」の領域に侵入していく面白さを実感することにもなるはずです。

「恋愛感情なしにセックスはできるのか」という問いには「できる」という答えだけがあるのですが、「セックス後に恋愛感情を抱かずにいられるのか」という問いには、二重の答えが発生してしまう。ここがセックスの面白いところであり、セフレ関係が一筋縄ではいかないところではないでしょうか。

恋人がいる人間が、恋人がいるにもかかわらず、それとは別にセックスのみの関係を他者と築けてしまったり、恋愛感情なしで性行為ができるということを信じ切っていた人間がセックスを通して不意打ちのように恋愛感情を抱いてしまう。

セックスというのは、男女の関係が曖昧で不安定な領域を含んでいることをこのように露呈させるものなのです。

「セックスフレンド」「恋人」とは別だ、と確信を込めてセックスだけを割り切って楽しんでいたつもりの人間が、「恋人」よりも「セックスフレンド」のことをセックスを通して好きになってしまい、「恋人」との関係を断ち切る、ということさえも起こります。

セックスなどでは揺らぐことはないだろうと信じられていた「恋人」という相手との固定された関係を尽く破壊しうる可能性をも持っているのが、セフレという関係であり、セックスという磁場なのです。

「恋人」以外の人間ともセックスがしたい、あるいは、セックスはするが「恋人」にする必要はない、というような態度は、男女の「性」にまつわる関係性における曖昧さをそのまま体現しているかのように私には思われます。

セックスフレンドという肉体関係のみで成立するとされている男女の関係について考えること、セックスフレンドとセックスをする、ということは、そのまま「恋人」というものは何か、ということを改めて問い直す営みでもあるのかもしれません。